Drama
21 to 35 years old
2000 to 5000 words
Japanese
静寂が、僕の意識を侵食する。どこまでも続く白。ここは、どこだ…?最後に見たのは、燃え盛る炎だったはずなのに。
優しい声に導かれ、僕は顔を上げた。そこにいたのは、天使のような、それでいてどこか事務的な女性だった。
「ここは死後の世界です。あなたは亡くなられました」
彼女の言葉は、まるで他人事のように僕の耳を通り過ぎていった。ああ、そうか、僕は死んだんだ…やっと、終わったんだ…。
しかし、安堵も束の間、女性は事務的に告げた。「あなたは、しばらくこの療養所で過ごしていただきます。魂の整理が必要ですので」
療養所…?死んだのに、まだ苦しまなければならないのか…。僕は絶望した。 死んだら楽になると思っていたのに。
それから、僕は療養所の一室に閉じこもった。8年間、誰とも話さず、部屋から一歩も出なかった。 頭痛、腹痛、軽い下痢。あらゆる体調不良を理由に、人と会うことを拒否した。 死後の世界には、死後の世界なりの苦しみがある。 死にたくても死ねないという、残酷な事実。
ある日、僕の部屋のドアをノックする音が聞こえた。「…誰だ?」
「成香(なるか)です。お邪魔してもよろしいですか?」
声の主は、優しそうな女性だった。僕は戸惑いながらも、小さく頷いた。
成香は、僕の荒れた部屋を見回し、静かに言った。「…辛かったですね」
僕は、言葉が出なかった。8年間、誰にも打ち明けられなかった孤独が、胸に押し寄せてきた。
成香は、無理に話を聞き出そうとはしなかった。ただ、静かに僕の隣に座り、温かいお茶を差し出した。
「…ありがとう」 僕は、小さく呟いた。久しぶりに人の温もりを感じた。
それから、成香は毎日、僕の部屋を訪れるようになった。世間話や、療養所での出来事、そして彼女自身の死因…。
彼女は、交通事故で幼い息子を亡くしたという。 死後、息子に会えることを信じて、この療養所で魂を磨いているのだという。
成香と話すうちに、僕の閉ざされた心は、少しずつ開き始めた。 頭痛も腹痛も、いつの間にか消えていた。 軽い下痢も治まった。
ある日、成香は僕に言った。「そろそろ、外に出てみませんか?綺麗な花がたくさん咲いていますよ」
僕は、躊躇した。8年間、太陽の光を浴びていない。僕は死んでから、ずっと自分自身から逃げてきたのだ。
しかし、成香の優しい笑顔を見て、僕は決心した。「…行ってみようかな」
成香に付き添われ、僕は8年ぶりに部屋を出た。眩しい光が目に飛び込んできた。 療養所の庭には、色とりどりの花が咲き乱れていた。
僕は、深呼吸をした。久しぶりに、空気の匂いを感じた気がした。
「ええ、綺麗ですね。でも、一番綺麗なのは、あなたが外に出られたことですよ」成香は、そう言って微笑んだ。
成香と過ごす時間の中で、僕は徐々に死んだことを受容し始めていた。なぜ、僕がこのような死に方をしたのか…。目を背けていた過去と向き合う時が来たのだ。
ある日、成香は僕に尋ねた。「…あなたは、どうして亡くなったんですか?」
僕は、顔を歪めた。どうしても、思い出したくなかった記憶が、蘇ってくる。
僕は、幼い頃から父親からの虐待を受けて育った。成人して結婚し、息子を授かったが、幸せな日々は長くは続かなかった。
妻は、日に日に僕に暴力を振るうようになった。言葉の暴力、そして身体的な暴力…。 僕は、生きていることが苦痛で仕方がなかった。
そして、あの日のこと…妻からの激しい暴力に耐えかね、僕はガソリンを被り、火をつけたのだ。息子を残して…。
「…ごめんなさい…ごめんなさい…」 僕は、泣き崩れた。自分の犯した罪に、改めて打ちのめされた。
成香は、僕を抱きしめた。「辛かったですね…でも、あなたはもう一人ではありません。私がいます」
成香の温もりに包まれ、僕は堰を切ったように泣いた。8年間、溜め込んできた感情が、一気に溢れ出した。
それから、僕は少しずつ、過去と向き合うようになった。 僕が、このような選択をしてしまったのは、自分自身の弱さのせいだと、強く受容する必要があった。
成香は、僕の傍で、ずっと支え続けてくれた。そして、僕は死後の世界で、初めて安らぎを得ることができた。
ある日、僕は成香に言った。「…僕は、もう大丈夫だ。僕は、息子に謝らなければならない。息子のために、できることをしなければならない」
成香は、微笑んだ。「ええ、きっとできます。あなたはもう、一人ではありませんから」
僕は、決意を新たにした。そして、僕は息子に会いに行くことを決めた。
「… 僕は、行かなくてはならない。 息子の元へ…」 僕はつぶやいた。
「気をつけて行ってきてくださいね。でも、無理はしないでください。あなたは、まだ傷ついていますから」 成香は、僕に微笑みかけた。
現実世界に戻った僕は、息子の姿を探した。 息子は、もう大人になっていた。
息子は、 僕と同じように苦しんでいた。妻の虐待の後遺症で、息子はすっかり心を閉ざし、自暴自棄になっていた。
息子は、僕の後を追おうとしていた。 僕と同じように、焼身自殺をしようとしていたのだ。
僕は、息子の名前を叫んだ。「…〇〇(息子の名前)!死ぬな!!」
声は、届かない。 死後の世界からでは、現実に干渉することはできない。
僕は、必死に息子に訴えた。「生きろ!苦しくても、辛くても、生きるんだ!」
その時、息子の手からライターが落ちた。 息子は、ハッとした表情で、空を見上げた。
僕の声が、息子の心に届いたのだ。かすかに、確かに届いた。
息子は、泣き崩れた。そして、僕と同じように、過去と向き合うことを決意した。
死後の世界から、僕は息子を見守った。 息子は、徐々に回復していき、幸せな人生を送ることができた。
僕は、死後の世界で、息子の幸せを祈り続けた。そして、いつか息子に会える日を信じて、魂を磨き続けた。
死後の世界は、必ずしも楽園ではない。それでも、死後の世界には、救いがある。過去を受容し、未来への希望を持つことができる。
死因は悲惨でも、人生は終わりではない。死後の世界でも、愛は続く。そして、いつか、受容の光が訪れる。