灰色の空の向こう側で君を呼ぶ

Drama 21 to 35 years old 2000 to 5000 words Japanese

Story Content

目を開けると、そこは白くぼやけた空間だった。最後に見た光景は、燃え盛る炎と、妻の死後に冷たく笑う顔…。死因は、間違いなく自殺だろう。僕はEPR97809、仮にショウと名乗ることにする。僕は、死んだんだ…。
(僕)「…ここは何処だ?」
声を出した瞬間、脳に響くような感覚。まるで生まれたての子鹿のように足元がおぼつかない。見渡す限り白い壁、白い床。無機質な空間に、僕は一人佇んでいた。
すると、奥の方から優しい声が聞こえてきた。
「ああ、ショウさん、目が覚めましたか? ようこそ、死後の世界へ。」
声の主は、白衣を着た若い女性だった。笑顔がどこかぎこちない。
(女性)「ここは療養所です。あなたが死んだ後、魂が落ち着くまで過ごす場所です。」
療養所…。死んだ後に、療養する場所があるなんて。なんだか皮肉だな、と思った。
(ショウ)「転生は…しないんですか?」
(女性)「ショウさんの魂の状態から見て、今は難しいですね。まずはここでゆっくり休んで、受容していくことをお勧めします。」
受容…。自分が死んだという事実を受容しろと? そんなの、簡単じゃない。
結局、僕は療養所の個室に案内された。部屋は簡素だが清潔で、窓からは灰色の空が見える。まるで僕の心を映し出しているかのようだった。
それからというもの、僕はほとんど部屋から出ることなく、日々を過ごした。食事も睡眠も最低限。生きている時と変わらず、孤独の中で。死んだら楽になると思っていたのに、死後の世界には死後の世界なりの苦しみがあることを知った。
(ショウ)「死にたくても死ねない…か。」
時間だけが過ぎていき、8年という月日が流れた。体調不良を言い訳に、完全に引き籠っていた。死んでいるのに引き籠りって、笑える。
ある日、部屋のドアがノックされた。珍しい。
(ショウ)「…どうぞ。」
ドアを開けて入ってきたのは、背の高い女性だった。黒髪を短く切り揃え、知的な印象を与える。
(女性)「こんにちは、ショウさん。私は成香といいます。カウンセラーとして、今日からあなたを担当することになりました。」
成香…か。また、面倒なのが来たな、と思った。
(成香)「8年間、ずっと部屋に閉じこもっていらっしゃるんですね。」
(ショウ)「…放っておいてください。」
(成香)「ショウさんは、死んだことを受け入れられていないようですね。」
(ショウ)「そんなこと…ありません。」
(成香)「そうですか。でも、心の奥底ではそう思っていらっしゃるはずです。死因は何ですか?」
(ショウ)「…答える義務はありません。」
(成香)「無理強いはしません。でも、もし話せるようになったら、いつでも話してください。私はあなたの受容を助けたいんです。」
成香は、そう言って微笑んだ。その笑顔は、どこか温かかった。
それから、成香は毎日僕の部屋に来るようになった。無理に話を聞き出そうとはせず、ただ隣に座って本を読んだり、天気の話をしたりするだけだった。最初は鬱陶しいと思っていたけれど、次第にその存在が心地よくなってきた。
ある日、成香が僕に絵本を差し出した。
(成香)「この絵本、知っていますか? 『星の王子さま』というんです。死んだ星に住む王子さまが、地球にやってきて、色々な人や動物と出会う物語です。」
(ショウ)「…読んだことがあります。」
(成香)「王子さまは、色々な出会いを通して、大切なものに気づいていきます。ショウさんも、この療養所で、色々な人と出会ってみませんか?」
僕は、少し戸惑った。8年間、誰とも関わらずに生きてきたのに、今更…。
(成香)「もちろん、無理強いはしません。でも、もしかしたら、新しい発見があるかもしれませんよ。」
僕は、しばらく考えた。そして、意を決して口を開いた。
(ショウ)「…一度だけ、外に出てみようかな。」
成香は、嬉しそうに笑った。
翌日、僕は8年ぶりに部屋から出た。眩しい光が目に染みる。外には、色とりどりの花が咲き、鳥のさえずりが聞こえた。
(ショウ)「…綺麗だな。」
(成香)「ええ、本当に。」
成香に連れられて、僕は療養所の中を歩いた。すれ違う人たちは皆、穏やかな顔をしている。中には、僕に話しかけてくる人もいた。
(男性)「やあ、見かけない顔だね。新入りかな?」
(ショウ)「…まあ、そんなところです。」
(男性)「ゆっくりしていきなよ。ここは、悪いところじゃないよ。」
僕は、曖昧に笑って答えた。本当に、ここは悪いところじゃないんだろうか?
ある日、療養所で小さな音楽会が開かれることになった。成香に誘われて、僕は見に行くことにした。
会場には、たくさんの人が集まっていた。ステージの上では、美しい歌声が響き渡る。僕は、その歌声に聞き入った。まるで、心の奥底に眠っていた感情が呼び覚まされるかのようだった。
音楽会が終わった後、僕は成香に連れられて、療養所のカフェに行った。そこには、色々な人が集まって、お茶を飲みながら談笑していた。
(成香)「どうでしたか? 音楽会。」
(ショウ)「…感動しました。あんなに美しい歌声を聞いたのは、生まれて初めてです。」
(成香)「そうでしょう? ここには、色々な才能を持った人が集まっているんです。」
僕は、カフェの中を見渡した。確かに、皆それぞれ個性的な才能を持っているようだ。
(成香)「ショウさんは、何か得意なことはありますか?」
(ショウ)「…特に、ありません。」
(成香)「そんなことないでしょう。何か一つくらい、好きなことや得意なことがあるはずです。」
僕は、しばらく考えた。そして、ようやく一つのことを思い出した。
(ショウ)「…昔、絵を描くのが好きでした。」
(成香)「本当ですか? それは素晴らしい。ぜひ、また描いてみてください。きっと、新しい発見があるはずです。」
僕は、少し戸惑った。今更、絵を描いても意味がないんじゃないか?
(成香)「もしよければ、私が絵の道具を用意しますよ。」
僕は、成香の申し出を断ることができなかった。
翌日、成香は僕に、絵の道具をたくさん持ってきてくれた。久しぶりに手にする絵筆は、どこか懐かしかった。
僕は、早速絵を描き始めた。最初は、何を描けばいいのかわからなかったけれど、描いているうちに、色々なイメージが湧き上がってきた。
燃え盛る炎、冷たく笑う妻の顔、そして…。
僕は、その絵を描き続けた。何日もかけて、少しずつ、丁寧に。
そして、ついに絵が完成した。それは、灰色の空の下に、燃え盛る炎を描いたものだった。その炎の中には、小さな人影が描かれていた。
僕は、その絵をじっと見つめた。そして、ようやく気づいた。
(ショウ)「…死因は…、自殺…だったんだ。」
長年の妻からの虐待。毎日、毎日、言葉の暴力、時には身体的な暴力も。そして、僕の心は限界に達し、息子を残したまま、焼身自殺したんだ。
僕は、初めて死因を思い出した。そして、同時に、過去の記憶が鮮明に蘇ってきた。
妻の罵声、息子の泣き声、そして、燃え盛る炎…。
僕は、その記憶に押しつぶされそうになった。そして、気づけば涙が止まらなかった。
(ショウ)「うわああああ!」
僕は、声を上げて泣いた。過去の苦しみ、悲しみ、そして、後悔…。
成香が、僕を優しく抱きしめてくれた。
(成香)「辛かったですね。苦しかったですね。でも、もう大丈夫ですよ。私は、いつもあなたのそばにいます。」
僕は、成香の温かさに包まれながら、泣き続けた。そして、ようやく心が落ち着いてきた。
それからというもの、僕は毎日絵を描くようになった。描くたびに、過去の記憶が蘇ってきたけれど、同時に、心が少しずつ癒されていくのを感じた。
ある日、僕は療養所の庭で、子供たちが遊んでいるのを見かけた。その子供たちは皆、楽しそうに笑っていた。
(ショウ)「…子供たち…。」
僕は、自分の息子を思い出した。今、彼はどうしているのだろうか? 元気に育っているだろうか?
僕は、いてもたってもいられなくなり、成香に相談した。
(ショウ)「…僕には、息子がいます。会いたいです。」
(成香)「そうですね。会いに行ってみましょう。ただし、現実世界に行くには、特別な許可が必要になります。」
成香は、療養所の責任者に許可を取り、僕は、ついに現実世界に帰れることになった。
久しぶりに見る現実世界は、少し変わっていた。息子は、もう大人になっていた。立派な青年になっていた。
僕は、息子を遠くから見守った。彼は、友達と楽しそうに笑いながら歩いていた。僕は、それを見て、安心した。
(ショウ)「…元気そうで、良かった。」
その時、息子の足が止まった。
そして、何かを決意したような強い眼差しで、空を見上げた。
息子は、ビルの屋上に駆け上がろうとしていた。
(ショウ)「まさか…!」
彼は、僕の後を追おうとしているんだ。死んで、僕に会おうとしているんだ!
(ショウ)「やめろ! ダメだ! 死ぬな!」
僕は、必死で叫んだ。でも、声は届かない。魂だけの僕は、息子に触れることすらできない。
その時、不思議な力が働き、息子の耳に僕の声が届いた。
(ショウ)「生きろ! お前は生きるんだ! 僕のために、生きてくれ!」
息子は、ハッとした顔で振り返った。そして、目に涙を浮かべながら、ゆっくりと首を横に振った。
息子は、生きることを選んでくれたんだ!
僕は、安堵の息を漏らした。そして、息子に向かって心の中で感謝の言葉を送った。
(ショウ)「ありがとう…、本当にありがとう…。」
僕は、再び死後の世界に戻った。そして、成香にすべてを話した。
(ショウ)「…僕は、ようやく受容できた気がします。自分が死んだこと、そして、息子が生きていることを。」
(成香)「それは良かった。ショウさんは、もう大丈夫ですね。」
僕は、成香に微笑みかけた。そして、決意を新たにした。
(ショウ)「…僕は、死後の世界で、絵を描き続けようと思います。そして、過去の苦しみを乗り越え、新しい人生を歩んでいこうと思います。」
灰色の空の向こう側には、きっと明るい未来が待っている。僕は、そう信じて、歩き出す。
その絵には、灰色の空の下、小さな炎から希望の光が力強く伸びていた。