Drama
21 to 35 years old
2000 to 5000 words
Japanese
目が覚めると、そこは見慣れない白い部屋だった。いや、白い、というよりは、光を失った灰色の空間、と表現するのが正しいかもしれない。僕はショウと名乗る、…いや、名乗っていた、男だ。死後の世界にいる、という自覚はあった。
「ここは療養所です。貴方はそこで、心と体の受容を待つことになります」
機械的な声がそう告げた。心の受容?一体何を、と僕は思った。現世で十分苦しんだ。死んで、やっと楽になれると思ったのに。
転生もできず、現世とほとんど変わらないこの場所で、僕は死後の世界の生活を始めることになった。他の魂もいたが、どこか他人事で、深く関わる気にはなれなかった。
僕はすぐに自分の殻に閉じこもった。生きている時から抱えていた孤独感が、死後の世界でも僕を離してはくれなかった。頭痛や腹痛を理由に、療養所の個室に引き籠る日々が始まった。
初めのうちは、訪れる医者やカウンセラーに言葉を交わしていたが、次第にそれも面倒になった。「僕はもう…」そう呟くのが精一杯だった。
個室のドアがノックされた。返事をしなかったが、ドアはゆっくりと開いた。
そこに立っていたのは、ナリカという名の若い女性だった。優しげな瞳と、控えめな笑顔が印象的だった。
「ショウさん、こんにちは。少しだけ、お話しませんか?」
僕は何も言わずに首を横に振った。しかし、ナリカは諦めなかった。「…元気がないようですね。何か、できることがあれば教えてください」
僕はますます心を閉ざした。「誰も…何も、僕を助けられない」
「そんなことはありません。私は、ショウさんのことをもっと知りたいんです。ショウさんの苦しみを、少しでも分かち合いたいんです」
その言葉に、僕はほんの少しだけ心が揺れた。でも、すぐにそれを打ち消した。どうせ、何も変わらない。
それでも、ナリカは毎日、僕の部屋を訪れた。そして、話しかけてきた。他愛もないこと、療養所の出来事、自分の過去…。
僕は相変わらず黙りこくっていたが、ナリカの話を聞いているうちに、少しずつ、本当に少しずつだが、心がほぐれていくのを感じた。
ある日、ナリカが言った。「ショウさん、外に出てみませんか?療養所の庭には、綺麗な花がたくさん咲いています」
僕は迷った。8年間、一度も外に出なかった。眩しい光が怖い、人との関わりが怖い。それでも、ナリカの優しい眼差しに惹かれて、僕は頷いた。
久しぶりに浴びる光は、想像以上に眩しかった。でも、それ以上に、庭に咲く花々の美しさに目を奪われた。
色とりどりの花、優しい風の音、そして、ナリカの穏やかな笑顔。僕は、生まれて初めて、心から安らげる場所を見つけた気がした。
ナリカは、僕の過去について詮索することはなかった。ただ、隣に寄り添い、静かに話を聞いてくれた。僕が話したいと思ったときに、いつでも話せるように。
そうして、少しずつ、僕は自分の過去を語り始めた。最初は、ぼんやりとした記憶の断片。それが、次第に明確な形を帯びてきた。
僕は…焼身自殺をした。妻からの長年の虐待に耐えかねて、息子を残して死を選んだのだ。
その事実に気付いた瞬間、激しい後悔の念が押し寄せてきた。「なぜ…なぜ、あんなことを…」
ナリカは静かに僕の肩を抱いた。「辛かったですね…よく頑張りました」
僕は、ナリカの温もりに触れながら、初めて、自分の死因を受け入れることができた。
「私は、ショウさんが死んだことを、無かったことにしようとは思いません。でも、過去は過去として受け入れ、これからの人生を、もっと自由に生きてほしいんです」
ナリカの言葉に、僕は希望を見出した。死後の世界で、もう一度、自分自身を見つけ直すことができるかもしれない、と。
それから、僕はナリカと共に、療養所の様々な活動に参加するようになった。絵を描いたり、音楽を奏でたり、他の魂と交流したり…。
初めは戸惑ったが、次第に、心の奥底に眠っていた感情が呼び覚まされるのを感じた。喜び、悲しみ、怒り、そして、愛。
僕は、ナリカに恋をした。彼女の優しさ、強さ、そして、深い悲しみを湛えた瞳に。
しかし、僕は、自分がもう二度と生きることはできない、死んだ人間であることを忘れてはいなかった。この恋は、決して叶わない。
ある日、ナリカが言った。「ショウさん、現実世界に、未練はありますか?」
僕は頷いた。息子…僕の愛する息子。今、彼はどうしているのだろうか。
「少しだけなら、様子を見に行くことができますよ。ただし、干渉することはできません」
僕は、ナリカの提案に迷った。息子の姿を見れば、また後悔の念に苛まれるかもしれない。それでも、彼の無事を確認したい気持ちが勝った。
ナリカに連れられ、僕は現実世界へと向かった。そこで見たものは、僕の想像を遥かに超えるものだった。
息子は、立派な青年に成長していた。優しい瞳、温厚な性格…僕の面影を残しつつ、逞しく生きていた。
しかし、彼の瞳には、拭いきれない悲しみが宿っていた。彼は、僕の死を、ずっと引きずっていたのだ。
その時、僕は衝撃的な光景を目にした。息子が、僕と同じように、焼身自殺をしようとしているのだ!
僕は、必死に叫んだ。しかし、僕の声は、現実世界には届かない。「やめろ!死ぬな!」
僕は、死後の世界から、自分の愛する息子に、精一杯の愛を込めて叫んだ。
息子は、僕の声が聞こえたのか、どうかわからない。ただ、彼の行動は、一瞬だけ止まったように見えた。
その瞬間、ナリカが僕の手を握った。「ショウさん、大丈夫です。きっと、あなたの想いは伝わります」
僕は、ナリカの言葉を信じた。そして、祈った。どうか、息子が、生きることを諦めないでほしい、と。
それから、僕はナリカと共に、死後の世界で生きていくことを決めた。過去の苦しみを乗り越え、新たな人生を歩むために。
この灰色の空の下で、ナリカと共に、僕は生きていく。愛する息子の幸せを願いながら…。
時折、僕は空を見上げる。そこに、かすかに輝く希望の光を見つけることができる。そして、僕は思う。きっと、息子は大丈夫だ、と。
僕は、ショウという男は、死後の世界で、やっと、本当の幸せを見つけたのだ。