死後の療養所と遅すぎた受容

Drama 21 to 35 years old 2000 to 5000 words Japanese

Story Content

「…ここは…どこだ?」ショウはぼんやりとした視界の中で呟いた。最後に見た光景は、自宅の狭い部屋で、灯油の匂いが立ち込める中、マッチを擦った瞬間だったはずだ。しかし、ここはまるで病院のような白い部屋だった。ベッドがあり、窓があり、小さな机と椅子がある。だが、どこか現実離れした、冷たい空気が漂っていた。
「ここは、死後の世界にある療養所です」
突然、声が聞こえた。ショウは驚いて声の主を探した。声の主は、白い制服を着た若い女性だった。柔らかな笑みを浮かべて、ショウを見つめている。
「あなたはEPR97809ショウさんですね?」
「ああ…そうだ。死んだのか…僕は…」ショウはゆっくりと起き上がり、自分の身体を見つめた。特に痛みはない。ただ、酷く疲れているようだった。
死因は…」
女性は少しだけ顔を曇らせた。「…焼身自殺です」
ショウは記憶を辿った。妻の罵声、息子の泣き声、そして、灯油の匂い…。記憶はそこで途切れていた。
「ご家族は…?」
「ご息子さんが、大変心を痛めていらっしゃいます」
ショウは何も言えなかった。ただ、無力感だけが胸を締め付けた。死んで、楽になれると思っていた。だが、現実は違った。ここにも苦しみがある。死にたくても死ねないという、残酷な苦しみが。
療養所での生活は、現世とほとんど変わらなかった。食事があり、睡眠があり、他の患者との交流があった。だが、ショウは誰とも話そうとしなかった。まるで殻に閉じこもるように、自室に引き籠もっていた。
「…もう、8年も経つのか」ショウは独り言ちた。8年間、ずっとこの部屋に閉じこもっていた。頭痛や腹痛、軽い下痢などを訴え、療養所の職員を困らせた。生きている時から引き継いだ孤独感が、死後の世界でもショウを苦しめていた。
ある日、ショウの部屋に、一人の女性が訪ねてきた。その女性は、成香という名前だった。成香は、ショウと同じように、死後の世界療養している患者だった。
「…また、体調が悪いんですか?」成香は心配そうに尋ねた。
ショウは何も答えなかった。ただ、俯いているだけだった。
「…少しだけ、外に出てみませんか?ずっと部屋に閉じこもっていては、心が*滅入って*しまいますよ」
ショウは首を横に振った。「…無理だ。僕は…」
「大丈夫ですよ。私が一緒にいますから」成香は優しく微笑んだ。「…もしよかったら、あなたの話を少しだけ聞かせてくれませんか?」
ショウはしばらく迷った。だが、成香の優しい眼差しに、少しだけ心を動かされた。「…わかった。少しだけなら…」
ショウは、自分の過去を、そして死因を、成香に語った。妻からの虐待、息子の存在、そして、焼身自殺という結末…。
成香は静かに、ショウの話に耳を傾けた。時折、相槌を打ち、時折、涙を流した。全てを話し終えた時、ショウは初めて、心が少しだけ軽くなったような気がした。
それから、ショウは少しずつ、部屋から出るようになった。成香と一緒に、療養所の庭を散歩したり、他の患者と話したりするようになった。
ある日、ショウは成香に連れられ、療養所の展望台へと向かった。展望台からは、美しい死後の世界の景色が一望できた。
「…綺麗だね」ショウは呟いた。
「ええ。とても綺麗です」成香は答えた。「…でも、もっと綺麗なものがあるんですよ」
ショウは首を傾げた。「…もっと綺麗なもの?」
生きてる世界です。生きてる人たちの笑顔です。生きてる人たちの努力です。それらは、この死後の世界よりも、ずっとずっと綺麗なんです」
ショウはハッとした。そうか、生きるということは、それ自体が価値のあることなのだ。苦しみ悲しみも、全て含めて。生きてるからこそ、感じることができるものなのだ。
「…僕は…間違っていた」ショウは呟いた。「死んで楽になろうとした。でも、それは逃げだったんだ」
成香はショウの手を握った。「…まだ、遅くはありません。あなたはまだ、やり直すことができるんです」
ショウは成香を見つめた。成香の瞳には、希望の光が宿っていた。「…どうすれば…?」
「まずは、自分が死んだことを受け入れることです。そして、自分が犯した償うことです」
ショウは頷いた。自分が犯した。それは、息子を置いて死んでしまったことだ。息子の未来を、奪ってしまったことだ。
「…僕は…償いたい」ショウは涙ながらに言った。「…息子に…謝りたい」
成香はショウを抱きしめた。「…きっと、届きますよ」
それから、ショウは療養所でのリハビリに励んだ。自分の過去と向き合い、受容し、そして、息子のためにできることを探した。
療養所での日々は過ぎ、ショウはついに、転生の時を迎えた。
「…ありがとう、成香」ショウは成香に感謝を告げた。
「…さようなら、ショウさん。どうか、幸せになってください」成香は笑顔で答えた。
ショウは光に包まれ、転生の扉へと向かった。
そして…時は流れ、現実世界。成長したショウの息子は、父親と同じように孤独を感じ、へと向かおうとしていた。
彼はショウが最後に見た場所、あの狭い部屋にいた。手には灯油とマッチ。
「…お父さん…ごめん」息子は呟き、マッチを擦ろうとした。
その瞬間、死後の世界から、ショウの声が響いた。「死ぬな!」
息子の手は止まった。彼は幻聴だと思った。だが、その声は、確かに父親の声だった。
「…生きろ!苦しくても、悲しくても、生きろ!君には、未来があるんだ!」
息子は涙を流した。父親の言葉が、胸に突き刺さった。彼はマッチを投げ捨て、泣き崩れた。
死後の世界から、ショウは息子の姿を見守っていた。彼の心には、安堵と、そして希望の光が灯っていた。
ショウはまだ償いきれていない。しかし、彼の声は、確かに息子に届いたのだ。そして、息子の未来は、ショウの声によって、守られたのだ。