Drama
21 to 35 years old
2000 to 5000 words
Japanese
目を覚ますと、そこは見慣れない白い天井だった。埃一つない、まるで病院の一室のような場所。ぼんやりとした視界に飛び込んできたのは、優しげな微笑みを浮かべた女性だった。「ここは…どこですか?」僕は掠れた声で尋ねた。
「ここは死後の世界よ。あなたは死んで、ここにたどり着いたの」その女性、成香はそう答えた。成香は、僕がこれから生活することになる『療養所』の案内係だった。まるでホテルみたいな内装で、広々とした庭もあるらしい。しかし、僕の心は晴れなかった。だって僕は、死んだのだから。
僕はEPR97809(ショウ)。これが僕のコードネームのようなものらしい。年齢は…生きていれば、28歳くらいだろうか。成香に連れられ、療養所の個室へと向かった。部屋は綺麗で快適そうだったが、僕にとってはただの牢獄にしか思えなかった。
「何か困ったことがあれば、いつでも声をかけてね」成香はそう言って部屋を出て行った。僕はベッドに倒れ込み、天井を見つめた。死んだら楽になると思っていたのに、現実は違った。孤独感は消えるどころか、ますます強くなっていた。
それから8年が過ぎた。僕は療養所の個室に引き籠もっていた。食事もほとんど摂らず、誰とも話さず、ただ天井を見つめているだけの日々。体調不良を理由に、成香の訪問もほとんど断っていた。もはや生きているのか死んでいるのか、自分でもわからなかった。
ある日、いつものようにドアをノックする音が聞こえた。無視しようと思ったが、珍しく扉が開いた。そこに立っていたのは成香だった。少し心配そうな顔をしている。
「ショウ、少しは外に出てみませんか?ずっとここに閉じこもっていても、何も変わらないわ」成香は静かに言った。
「外に出ても…意味がない。僕はもう死んでいるんだから」僕は答えた。声は酷く嗄れていた。
「そんなことないわ。あなたはまだ、自分を受け入れられていないだけ。自分が死んだこと、その死因、そしてこれからのことを…」成香は言葉を詰まらせた。彼女は全てを知っているのだろうか?
「死因…そんなもの、どうでもいい。僕はただ、消えてしまいたいだけだ」僕は自嘲気味に言った。
「あなたは、大切な人を残してきてしまったのね…」成香の言葉に、僕は息を呑んだ。彼女の言う通りだった。大切な…息子を残して。
僕は過去を思い出した。仕事は上手くいかず、借金は膨らむ一方。妻は僕を見限り、息子を連れて家を出て行った。絶望の淵に立たされた僕は、最後に愚かな選択をしてしまったのだ。
(回想シーン)古いアパートの一室。ガソリンの匂いが鼻をつく。幼い息子の写真を見つめながら、僕は震える手でライターに火をつけた…
激しい炎と熱気が全てを包み込んだ。後悔の念が押し寄せたが、もう遅かった。息子を残して、こんなことをしてしまって…。
「僕は…息子を…」僕は涙を流しながら呟いた。「僕は、最悪な父親だ」
成香は僕のそばに寄り添い、優しく肩を抱いた。「あなたは、まだやり直せるわ。ここでは、自分の過去と向き合い、受容することができる。そして、新しい自分を見つけることができるの」
成香の言葉に、僕は少しずつ希望を見出し始めた。もしかしたら、僕はまだ死後の世界で何かできることがあるのかもしれない。少なくとも、このまま閉じこもっているよりはマシだ。
僕は、8年間閉ざしていた個室から出ることを決意した。最初は太陽の光が眩しかったが、次第に慣れてきた。庭には色とりどりの花が咲き、鳥たちがさえずっていた。療養所には、僕と同じように過去と向き合おうとしている人々がたくさんいた。
僕は少しずつ、彼らと話すようになった。それぞれの死因や後悔、そしてこれからの希望について語り合った。彼らとの交流を通して、僕は自分が孤独ではないことに気づいた。みんな同じように、過去の傷を抱えながら、未来へ向かって生きようとしているのだ。
特に仲良くなったのは、同じように息子を死後に残してきたという女性、美咲だった。彼女は、幼い息子を残して交通事故で死んでしまったという。美咲は、息子の成長を死後の世界から見守りたい、と言っていた。
「私たち、似たような境遇ね。私も息子を残して、ここに来たんです」僕は美咲に言った。
「そうね。でも、私たちはまだできることがある。息子たちが幸せになることを願って、ここで生きていくしかないの」美咲は答えた。
僕と美咲は、互いを支え合いながら、療養所での生活を送った。過去の罪を償うことはできないが、せめて息子たちが幸せに生きられるように、祈り続けた。
ある日、僕は成香に呼ばれた。「ショウ、あなたに会いに来た人がいるわ」
誰だろう? 僕は戸惑いながら成香について行った。療養所の入り口には、若い男性が立っていた。彼は、僕の顔をじっと見つめ、涙を流し始めた。
僕は言葉を失った。彼は…僕の息子だった。あの日、まだ幼かった息子が、こんなに大きくなって…。
「父さん…ずっと、父さんのことを探していたんだ。父さんが死んだ場所も、死因も…全部知ってる」息子は涙ながらに言った。
僕はどう答えていいのかわからなかった。自分が犯した罪を、今さら償えるはずもない。
「父さんは、どうして…どうしてあんなことをしたんだ?僕を置いて、どうして…」息子の言葉に、僕は胸が締め付けられるようだった。
「すまなかった…本当に、すまなかった。僕は…最悪な父親だった」僕は泣きながら謝った。
息子は僕に駆け寄り、抱きしめた。「父さん…僕は、父さんのことが…大好きだったんだ」
息子の言葉に、僕は救われたような気がした。自分が犯した罪は消えないが、息子の愛情は、僕の心を少しずつ癒してくれた。
それから、息子は何度も死後の世界に僕に会いに来てくれた。彼は、僕が死んだ後、苦労しながらも立派に成長した。優しい妻と可愛い子供にも恵まれ、幸せな家庭を築いているという。
僕は、息子の幸せを心から願った。そして、自分が死後の世界でできること、それは、息子の幸せを祈り続けることだと気づいた。
ある日、息子が死後の世界に来なくなった。心配していたところ、成香から連絡があった。「ショウ、あなたの息子さんが…現実世界で、あなたの後を追おうとしているわ」
僕は愕然とした。息子が、自殺しようとしているのか…? 僕は急いで現実世界への扉を開けてもらい、息子のいる場所へと向かった。
見慣れた街並み。息子は、あの時僕が死んだアパートの屋上に立っていた。彼は、柵を乗り越えようとしていた。
「やめろ!」僕は叫んだ。声は届かない。死後の世界の声は、現実世界には聞こえないのだ。
息子はためらっていた。その時、僕は精一杯の力で叫んだ。「死ぬな!生きろ!幸せになるんだ!」
その瞬間、息子はハッとしたように顔を上げた。彼の目に、かすかに光が灯ったように見えた。そして、彼は柵から降りた。
療養所に戻ると、成香が待っていた。「良かったわね。あなたの声が、息子さんに届いたのね」
「ありがとう、成香。僕は…やっと、自分の罪と向き合えた。そして、これからの自分の役割を見つけたんだ」僕は言った。
僕は死後の世界で、自分の過去を受け入れ、愛する息子の幸せを祈りながら生きていく。それが、僕の償いの形なのだ。そして、いつか…また息子に会える日を、心待ちにしている。
療養所での生活は、僕にとって死後の救いとなった。 死んでしまったことは悲しいけれど、息子が幸せに生きてくれる限り、僕は死後の世界で穏やかに過ごしていけるだろう。僕の物語は、まだ始まったばかりなのだ。