Drama
21 to 35 years old
2000 to 5000 words
Japanese
気がつけば、見慣れない白い天井が目の前に広がっていた。ここはどこだ?
声の主は、看護師らしい若い女性だった。名前は、確か…成香、と言ったか。
彼女は静かに頷いた。 僕の名前はショウ。最後に覚えているのは、燃え盛る炎と、肌を刺すような熱さだった。どうしてこんなことに…。
療養所での生活は、現世とほとんど変わらなかった。朝食、リハビリ、談話…ただ、生きている人間がいないだけだ。
ショウは、生きている時から引き継いだ孤独感に苛まれていた。会社では誰とも話さず、家に帰っても一人だった。
妻とは、もう何年も口をきいていない。唯一の救いは、息子だったが…。
死んで楽になると思っていたのに、現実は違った。死後の世界には死後の世界なりの苦しみがあるのだ。
その苦しみとは、死にたくても死ねないという残酷な事実。
ショウは、次第に心を閉ざしていった。頭痛や腹痛、軽い下痢を言い訳に、療養所の個室に引き籠もってしまった。
部屋の窓から見えるのは、いつも同じ景色だった。白い雲、ぼんやりと光る街並み…。
時折、成香が様子を見に来たが、ショウはほとんど口を開かなかった。
「ショウさん、少しは外に出てみませんか? 体を動かさないと、体が鈍ってしまいますよ」
成香は、優しく微笑んだ。「そんなこと、ありませんよ。誰だって、必要とされているんです」
そんなある日、ショウの部屋に、一人の男性が訪ねてきた。
男性は、穏やかな口調でそう言った。顔には、深い悲しみが刻まれているように見えた。
「私の名前は、涼太といいます。実は、あなたと少し関わりがあるんです」
涼太は、静かに語り始めた。彼は、ショウがかつて住んでいた家の近所に住んでいたらしい。
そして、ショウの死因について、少しだけ知っている、と。
「あなたは、奥さんからひどい虐待を受けていたそうですね…」
ショウは、息を呑んだ。 誰にも話したことがないはずなのに。
「私が直接見たわけではありません。でも、周りの人は皆、知っていましたよ。奥さんのヒステリックな声や、あなたに痣があったこと…」
ショウは、言葉を失った。知っていたのか。誰もが、あの苦しみを知っていたのか。
「あなたは、苦しんでいた。誰にも相談できず、一人で抱え込んでいた…」
「でも、あなたは、間違っていませんでした。あなたは、生きるべきだった」
涼太の言葉は、ショウの胸に深く突き刺さった。 生きるべきだった? 今更、そんなことを言われても…。
「いいえ、遅くはありません。あなたは、まだやり直せる」
涼太は、ショウの手を取った。「あなたは、この死後の世界で、受容することから始めることができる」
涼太の言葉に、ショウは心が揺さぶられた。 受容…それは、8年間、ショウが避けてきたことだった。
涼太との出会いをきっかけに、ショウは少しずつ、個室から出るようになった。
最初は、庭を散歩するだけだった。それでも、新鮮な空気を吸い込むたびに、心が少しずつ軽くなっていく気がした。
成香も、ショウの変化を喜んでくれた。「少しずつ、良くなってきましたね」
「いいえ、私が何かをしたわけではありません。ショウさん自身が、変わろうとしたからです」
ショウは、リハビリにも積極的に取り組むようになった。体を動かすことで、精神的にも安定していった。
他の療養者たちとも、少しずつ会話をするようになった。彼らもまた、様々な苦しみを抱えて、この世界にやってきたのだ。
ショウは、自分の過去を、少しずつ語るようになった。妻からの虐待、誰にも相談できなかった孤独…。
語ることで、心の傷が少しずつ癒えていく気がした。そして、ようやく、死因を思い出すことができた。
あの日、ショウは、妻から激しい言葉を浴びせられた。離婚を迫られ、息子にも会わせないと脅された。
ショウは、絶望した。自分の存在意義を見失い、死を選ぶことしかできなかった。
灯油をかぶり、火をつけた。全てを終わらせるために…。
ショウは、涙を流した。息子を残して死んでしまったことを、心から後悔した。
数年後。現実世界。ショウの息子、健太は、すっかり大人になっていた。彼は、父と同じように、孤独を抱えて生きていた。
ある日、健太は、父親の死について調べるうちに、死後の世界の存在を知った。
彼は、父親に会いたい一心で、死を選ぼうとした。高いビルの屋上から、飛び降りようとしたのだ。
その時、死後の世界から、ショウの声が響いた。「死ぬな!! 健太!!」
健太は、驚いて足を止めた。声が聞こえた気がした。幻聴か…?
「生きろ!! 生きて、幸せになってくれ!! それが、僕の願いだ!!」
ショウの叫びは、健太の胸に響いた。 死ぬことを思いとどまることができた。
ショウの想いは、現世の息子に届いた。そして、ショウ自身もまた、この世界で救われたのだ。
数十年後、ショウと健太は死後の世界で再開し、お互いの境遇を笑い合った。
「あの時、父さんが止めてくれなかったら、今の僕はいなかったよ」
二人は肩を組み、永遠に続く死後の世界へと歩き出した。